当店は、秋田県潟上市昭和の「大久保」という地区にあります。この地名の由来は、“大きくくぼんだ地”。八郎潟に面していて水はけが悪く、耕作に向かない土地でした。江戸の昔から田畑が少ない地域でしたので、人々が八郎潟の魚介類を捕って生計を立てるようになったのは、自然な流れであったろうと思います。

そんな昔の人々が、やがて潟魚を佃煮に加工するようになり、この土地の産業として発展させ、潟の恵みとともに生き、文化や経済の基盤を形成してきました。その営みがあったからこそ、今の私たちの暮らしがあります。
私は佐藤徳太郎商店の四代目として、この地域の歴史をひもといてみました。そして「佃煮」という商品が、いかに多くの人の関わりと、豊かな自然に支えられて完成するものであるか、ということが見えてきました。同時に、私たちが「佃煮をつくる」ということは、想像以上に深い意味があるように思えたのです。

佃煮を仕上げるまでには、当店の職人、注文を受けるスタッフ、梱包するスタッフはもちろん、漁をする人、船や網をメンテナンスする人、タレの原料を作る人など、たくさんの人の存在が不可欠です。そしてこの土地ならではの恵み、文化や伝統。誰かひとり、何かひとつ欠けてもお客様においしさをお届けすることはできません。当店の佃煮を購入してくださるお客様は、目には見えないけれどこういうすべてのことをひっくるめて愛してくださっているのではないか、そう感じるようになりました。

当店の社員を含めこの地で働くひとたちと、佃煮を楽しみにしてくださるお客様、そして地域特有の資源。このかけがえのない財産を、私たちは未来へきちんと受け渡していきたいと思っています。先人たちが連綿とそうしてきたように。
そのために、守り、活かし、育てていかなければならない人、もの、ことがあります。私たちはそれを使命とし、未来に大きな夢を描いて、より一層お客様に喜んでいただける佃煮づくりに取り組んで参ります。